岡山中学校・岡山高等学校

Unlock the Possibilities(学校長ブログ)

ホーム ≫ Unlock the Possibilities(学校長ブログ) ≫ 大学受験に必要な「才能」とは?

大学受験に必要な「才能」とは?

2018/05/07

平成29年度 3学期終業式 式辞

 

平成29年度の1年間が終わってしまいました。32期生(高校2年)のみなさん、いよいよ残すところ1年となりました。あなたは何をやりたいのですか?どんな将来像を抱いているのですか?

 

今年の卒業生と話をしていると、なかなか勉強に専念することができなかった、とこぼす生徒が少なくなかった。立派な成績を残していた生徒は、当然早くから勉強に専念していたが、中には夏休みから、ひどい場合にはセンター試験後と言う生徒もいた。勉強の大半は「質より量」だと考える。「質」が問題になるのは、かなり勉強に打ち込んだ後だ。

 

中学生の皆さん、土曜日に行われた中学三年生の卒業式の最後に、卒業生が「誓いの言葉」を口にする瞬間がありましたね。覚えていますか?何人かの生徒が「中学時代はだらだらしていたので、高校に進級したら、今度は勉強します」とか「ゲームはもう卒業です」などと答えていました。とても残念でした。「高校に入ったら本当に勉強」できるのでしょうか?「勉強には習慣が大切だということが余りわかっていないな」私はそう思いました。

 

勉強には「才能」が必要だという人がいます。そこでいう「才能」とは、決して「頭の回転速さ」ではなく、自分の興味や関心の幅をコントロールして、勉強に取り組み、自分の生活時間をコントロールできるかどうかが問われているのです。人間の「才能」の本質は簡単には定義できないが、大学受験程度の学力を議論する場合の「才能」という言葉が意味しているのは、「早めに勉強に集中して、質より量を意識して勉強できるかどうか」ということだと思う。

 

 今年も、アカデミア(補習科)の成績は素晴らしかった。非常に高い確率で第一志望大学に合格している。どこが違うか?「勉強の量」が根本的に違う。朝早くから午後七時くらいまで、自習室で毎日勉強している。勉強の量が根本的に違うのです。

 

中学生の望ましい「自学自習」の時間を3時間だとすると、高1~2になると最低でも4時間はほしい。高3になると「自学自習」で5時間は必要となるはずだ。その他に塾で教えてもらう生徒もいるかもしれないが、5時間の「自学自習」の時間は譲れない。もし高1~2の生徒で自学自習の時間が4時間を割っていたら、第一志望は間違いなく不合格だ。

 

もちろん、「天才的に頭が良い人」の場合はそんなにしなくてよいが、自分が「天才的に頭が良い人」かどうかは、岡中高に入学した生徒には分かっているはずだ。だって「天才的に頭の良い人」は勉強しないのに素晴らしい成績を取っているからだ。私の大学時代の同級生に北尾宏之という「天才的な人物」がいました。

 

彼の夢は「哲学研究者になるのではなく、真の哲学者になること」でした。「哲学史を勉強する理由は、自分が独創的に考えたつもりのことが、世界の哲学の先人たちに、いとも簡単に答えがなされていることを知ることにあり、まだ考えられていない問題は何かを知るためにある」といつも語っていました。彼は「ソクラテスやプラトン」のような哲学者になろうとしていたので、高校時代から古代ギリシャ語の勉強をしており、大学の一年生の時には古代ギリシャ語で『ソクラテスの弁明』を読んでいました。それどころかドイツ語もフランス語も、いつもドイツ語の先生の質問にスラスラ答える。「お前はどうしてあんなにドイツ語やフランス語ができるのか?」と尋ねると、彼は「外国語の初級や中級の段階では、教師はすでに学習したことしか質問しない。僕は一度聞いた説明は絶対に忘れることができないのだ」と悲しそうに答えた。

 

そう。「一度聞いた説明は絶対に忘れることができない」人こそが天才なのだろう。我々凡人は「忘れる」。だから繰り返し頭に叩き込むには「時間がかかる」のだ。1日4~5時間も勉強しなければいけないのは、凡人は「忘れる」ことができる人間だからだ、と思う。

 

これを以て、平成29年度3学期終業式の式辞とする。